【大学の自治】東大ポポロ事件の射程を理解して、自由自在に使いこなそう【学問の自由】
目次
この記事を読んで理解できること
- 東大ポポロ事件は「学生」の学問の自由であることに注意
- 頻出ワード~「実社会の政治的社会的活動」
- 東大ポポロ事件の事案の深堀りと判例の射程
- 【発展】実社会の政治的社会的活動か否かの深堀り
(実質的に表現の自由の問題である)教科書検定を除けば、百選掲載判例で学問の自由について取り扱っている判例は東大ポポロ事件だけです。
それにもかかわらず、学問の自由は令和6年段階において司法試験では3回も聞かれている重要な人権です。
東大ポポロだけの理解が問われているわけではないのですが、まずベースとして東大ポポロの理解が甘く、判例の射程を使った答案をうまく作れていない人が多いため、この記事で解説したいと思います。
第1章 東大ポポロ事件は「学生」の学問の自由であることに注意!
1 憲法23条の保障範囲
まず、東大ポポロ事件は
憲法23条が
②研究結果発表の自由
③教授の自由
を保障することを判示します。
東大ポポロ事件 最判昭和38年5月22日
「同条(23条:筆者注)の学問の自由は、学問的研究の自由とその研究結果の発表の自由とを含むものであつて」
「教授その他の研究者は、その研究の結果を大学の講義または演習において教授する自由を保障されるのである。」
2 学生の学問の自由
ここからが本題なのですが、東大ポポロ事件は、学問の自由のド直球事例ではないということが重要です。
タイトルにあるとおり、東大ポポロは「学問の自由」の判例ではなく「学生の学問の自由」の判例なのです。
それを前提に、学生に認められる学問の自由が認められるのは、「大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と自治の効果としてである」と判示しています。
・東大ポポロ事件 最判昭和38年5月22日
「大学の学生としてそれ以上に学問の自由を享有し、また大学当局の自治的管理による施設を利用できるのは、大学の本質に基づき、大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と自治の効果としてである。」
ここで言えることは、
23条で直接保障される
教授の学問の自由の効果にすぎない
要保護性が下がる
ということです。
なので、仮に学生の学問の自由が制約される場合は、要保護性の低い人権の制約である以上、審査基準が下がる旨、公権力からの反論として答案で書くことになることが解法となります。
第2章 頻出ワード~「実社会の政治的社会的活動」
学生の学問の自由は教授の学問の自由の効果でしかないことをお伝えしました。
東大ポポロ事件は、学生の行為が政治的活動に該当する可能性がある場合は、「実社会の政治的社会的活動」に該当すると判示しています。
・東大ポポロ事件 最判昭和38年5月22日
「学生の集会が真に学問的な研究またはその結果の発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しないといわなければならない。」
実は司法試験で学問の自由が出題される場合、多くの場合は、学問的行為が政治的要素も含んでいる場面が多く、それが東大ポポロにいう「実社会の政治的社会的活動である」と公権力側が反論することは頻出です。
特に、教授の学問の自由の効果でしかない学生の学問の自由は「実社会の政治的社会的活動」である場合は、上記判旨のとおり、学問の自由の射程外と判断されてしまいます。
これに対する判例の射程をどう考えて私見でどう反論するかは第4章で検討することになります。
第3章 東大ポポロ事件の事案の深堀りと判例の射程
ここで東大ポポロ事件の事案を見ていきましょう。
条文のない憲法において、判例が条文の代わりです。
事案 ▶ 要件
判旨 ▶ 効果
と考えていきます。
なので、百選レベルの判例は百選の事案の部分だけでいいので必ず確認しておいて下さい。
1 政治的な事件をテーマにしていた
・東大ポポロ事件は、学内教室で政治的な事件である松川事件について演劇発表する発表会を開いた事件であった。
・反植民地闘争デーの一環として行われ、開園に先立ち資金カンパも行われていた。
・その他の政治的事件である渋谷事件の報告もなされた。
なので、極めて政治性の高い劇であったといえます。
となると、出題される場合は、
「政治的に中立な集会の場合に東大ポポロの射程が及ぶか」
という出題趣旨で出されることが当然想定されるわけです。
2 大学公認のサークルが大学の許可を得て演劇を行っていた
「劇団ポポロ」は東京大学公認の学内団体であり、当該演劇も大学の許可を得て、大学の教室を利用して行われたものである。
こちら、注目したいのが、学生が勝手にやった集会ではないということがポイントです。
大学公認の団体が大学の許可を得ていた。
それにもかかわらず、学生の学問の自由の保障の程度は低いままであったということが事案のポイントです。
射程を考えるにあたって、
東大ポポロ事件は「大学の許可」があった場合であるところ、
「大学教授の許可あるゼミの一環」の場合は、学生の行為でありつつも、まさに憲法23条で直接保障される「大学教授の学問の自由」ではないかと反論することは可能です。
実はこのような観点で出題されたのが平成25年司法試験憲法なのでした。
学生の学問の自由の要保護性を上げるものではない(東大ポポロ)
実質的に教授の学問の自由となり要保護性が格上げされる可能性がある(東大ポポロの射程外)
3 公開の集会であった
集会は学生だけでなく、一般の公衆の入場を許すものであり、公開の集会とみなされるものであった。
⇒公開の集会の場合は学問の自由と自治は享有しない。
学生の集会が公開の場合は、学問の自由を享受しないと判示されています。
・東大ポポロ事件 最判昭和38年5月22日
「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準じるものであつて、大学の学問の自由と自治は、これを享有しないといわなければならない。」
そして、警察も私服のままチケットを一般人と同様に購入して観客としてまぎれこんでいた事案でした。
とすれば、考えられる判例の射程は、「公開集会ではない」場合に、学生の集会も学問の自由を享受する可能性があるということになります。
4 小括
以上まとめると、学生の学問の自由についての問題を事案分析する際に、
①政治性の強い活動か、政治的に中立か(「実社会の政治的社会的活動」)
②活動は許可されているか、許可したのは大学か教授か
③学生の集会は公開されているか否か
と検討することが解法となります。
第4章 【発展】実社会の政治的社会的活動か否かの深堀り
(※司法試験レベルなので、初学者は読み飛ばしても構いません。)
第2章で予告したとおり、「実社会の政治的社会的活動」に該当するか否かについてもあてはめにコツがあります。
ポイントは、「学問と政治的活動を明確に区別することが難しい」ということです。
この見地から、過去問は主張・反論をさせることになります。
ここで、平成25年司法試験で出題された学問である「憲法学」を考えてみましょう。
憲法を勉強している皆さんも分かるとおり、憲法学は「統治」を勉強しますので、学習内容がそもそも政治性を帯びています。
さらに、「人権」を勉強するということは必然的に「権力批判」を研究することになります。
とすれば、真っ当に「憲法学」を研究していると、「政治性」を帯びるのは当然なのではないでしょうか。
それにもかかわらず「人権を学び政府の行為を批判的に検討するようになることは、実社会の政治的社会的活動だ」という反論を許すと、憲法学自体が成り立ちませんよね。
それ以外の学問だって、「経済学」も「マルクス経済学」のように学問自体が政治性の強い研究がありますし、「物理学」においても「原子力研究」のように、政治に直結する学問もあります。
少しも政治性の混じっていない学問はないと言って過言ではなく、公権力側の「実社会の政治的社会的活動である」旨の反論に対しては、「学問と政治活動は不可分である」との反論をするというのは、司法試験で頻出の主張反論パターンですので覚えてしまいましょう。
第5章 まとめ
以上まとめると、東大ポポロ事件は
①学生の学問の自由の問題でありそもそも要保護性が低い
②実社会の政治的社会的活動であり、
かつ
③公開の集会である
ことを判例の射程として事案分析すると、脳死で三段階審査しかできない、他の受験生とグッと差が付きます。
憲法は必ず判例の射程から考えていきましょう。
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そして、動画④では③の生存権の解法パターンを使って、難問と言われた司法試験の憲法の過去問の解説をします。
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