実はそんなに射程が広くないことを徹底解説【大学や政党との比較】
目次
この記事を読んで理解できること
- そもそも部分社会の法理とは
- 大学・政党と部分社会の法理
- 地方議会と部分社会の法理
令和2年11月25日、地方議会についての部分社会の法理の判例変更がなされました(令和2年判決)。
これにより地方議会における出席停止処分に司法審査が及ぶようになったのですが、予備校講師や受験生の判旨の読み込み不足のために「部分社会の法理が否定された」と理解している人も散見されます。
この記事では、そもそも部分社会の法理とは何かについて概観した上で、令和2年判決(岩沼市議員出席停止事件)の射程がかなり限定されたものであることを解説します。
そして、部分社会の法理の射程をしっかり固めてくださいね。
第1章 【基本】そもそも部分社会の法理とは
まず、基本的な話をしますが、部分社会の法理とは、大学・政党・地方議会のような団体内部ついては、一般市民社会とは異なる「特殊な部分社会」を構成していると考え、その内部の抗争については、裁判所が司法審査すべきではないという考え方です。
しかし、現在では「部分社会だから司法審査が及ばない」と単純に考えるのではなく、結局、①当該団体の性質、②制約される人権の性質、③処分の内容などにより、個別具体的に司法審査を及ぼすか否かを判断することが主流となっています。
部分社会の法理は、
①当該団体の性質
②制約される人権の性質
③処分の内容
を指摘し、各団体のリーディングケースである判例を用いて判断せよ。
そこで、第2章では、大学・政党といった地方議会以外の部分社会の法理に関する判例を俯瞰した上で、第3章で今回のメインである地方議会に関する令和2年判決の射程について解説します。
第2章 大学・政党と部分社会の法理
1 大学:富山大学事件
まず、大学における部分社会の法理の根拠は、「大学の自治」(憲法23条)です。
それを前提に、大学に関する部分社会の法理の判例は、富山大学事件です。
富山大学事件は、ⓐ単位不認定事件とⓑ専攻科終了不認定事件の二つ存在し、
ⓐ単位不認定については司法審査が及ばない
ⓑ専攻科終了不認定については司法審査が及ぶ
と結論付けています。
つまり、「大学は部分社会だから司法審査が及ばない」と判例が考えているわけではないことは明白です。
ここで、ポイントなのはⓐ単位不認定事件において、単位認定に司法審査が及ばないと判断した理由です。具体的に判旨を見ていきましょう。
・富山大学事件 最判昭和52年3月15日
「単位の授与という行為は、学生が当該授業科目を履修し試験に合格したことを確認する教育上の措置であり、卒業の要件をなすものではあるが、当然に一般市民秩序と直接の関係を有するものでないことは明らか」
単位認定は、「教育上の措置」であることから、原則的に司法審査の対象になりえないと述べます。
この学生に単位を授与してよいかというのは学問的見地が必要であり、裁判所に判断できる類のものではありません。
なので、単位認定について司法審査が及ばないと判断した最高裁の判断は結論においては一般的に妥当ではないかと考えられます。
他方、ⓑ専攻終了不認定事件は以下のように述べて、修了認定が司法審査の対象になると述べています。
・富山大学事件 専攻終了不認定事件
「専攻科に入学した学生は、大学所定の教育課程に従いこれを履修し専攻科を修了することによつて、専攻科入学の目的を達することができるのであつて、学生が専攻科修了の要件を充足したにもかかわらず大学が専攻科修了の認定をしないときは、学生は専攻科を修了することができず、専攻科入学の目的を達することができないのであるから、国公立の大学において右のように大学が専攻科修了の認定をしないことは、実質的にみて、一般市民としての学生の国公立大学の利用を拒否することにほかならないものというべく、その意味において、学生が一般市民として有する公の施設を利用する権利を侵害するものであると解するのが、相当である。されば、本件専攻科修了の認定、不認定に関する争いは司法審査の対象になる」
専攻科修了認定をしないことは「実質的にみて、一般市民としての学生の国公立大学の利用を拒否することにほかならない」と述べています。
その上で、以下のように述べます。
要約すると、
生徒の平素の成績という専門的な価値判断を要する
在籍年数と取得単位数の要件を満たせば卒業できる以上、「教育上の見地からする専門的な判断を必要とするものではない」と判示している。
よって、大学卒業に関しては「在籍年数」と「取得単位数」の要件を満たしているかチェックすれば足りる以上、裁判所の判断できない事項ではないので司法審査が及ぶということです。
以上、ⓐ単位授与とⓑ終了認定の違いは「教育上の専門性」を有するか否かということになります。
大学内処分は、「教育上の専門性」を認めるべき処分か否かを検討せよ。
・単位授与 ▶ 専門性
・修了認定 ▶ 専門性なし
・学校施設の利用 ▶ 専門性なし
なお、後述のとおり、司法審査が及ぶ場合は裁量統制の問題となります。
2 政党:共産党袴田事件
政党についての部分社会の法理の根拠は、政党の自律権です。
政党の自律権については、八幡製鉄事件や共産党袴田事件で述べられています。
・共産党袴田事件 最判昭和63年12月20日
「政党は、政治上の信条、意見等を共通にする者が任意に結成する政治結社であって、内部的には、通常、自律的規範を有し、その成員である党員に対して政治的忠誠を要求したり、一定の統制を施すなどの自治権能を有するものであり、国民がその政治的意思を国政に反映させ実現させるための最も有効な媒体であって、議会制民主主義を支える上においてきわめて重要な存在であるということができる。」
共産党袴田事件を見てみましょう。
この事件は政党の除名処分に司法審査が及ぶかが争点になっていることを覚えておきましょう。
つまり、政党という部分社会から追放する処分であり一般的には司法審査が及ぶ方向に価値判断が働きそうです。
ところが、共産党袴田事件は以下のように述べ、政党の除名処分は一般的に司法審査の対象とならず、処分が一般市民としての権利義務を侵害する場合に限り、適正手続に則ってされたか否かについてのみ審査すると判断しています。
・共産党袴田事件 最判昭和63年12月20日
「政党が党員に対してした処分が一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、裁判所の審判権は及ばないというべきであり、他方、右処分が一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、右処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則ってされたか否かによって決すべきであり、その審理も右の点に限られる」
つまり、除名処分がされたとしても、除名そのものの適否の判断ではなく、「適正手続違反の有無」についてのみ審査するということです。
おそらく、他の団体に比して政党の自律権の尊重をするという立場から、除名処分という強力な処分であったとしても司法審査は抑制的にすべきという価値判断からきたものだと考えられます。
政党の自律権の尊重の立場から、除名処分という重い処分であったとしても、手続審査しか司法審査を及ぼさない。
大学の退学処分の場合は、昭和女子大事件のように当然に司法審査が及ぶことと対比して覚えておくといいでしょう。
・昭和女子大事件 最判昭和49年7月19日
「退学処分が、他の懲戒処分と異なり、学生の身分を剥奪する重大な措置であることにかんがみ、」
「退学処分を行うにあたつては、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要する」
(太字は答案でよく使うので覚えるべき表現)
また、第3章で述べますが地方議会については、判例変更により、除名処分も司法審査が及ぶことになります。
第3章 地方議会と部分社会の法理 令和2年判決
1 令和2年判決(岩沼市議員出席停止事件)の判例変更
さて、ここで本記事のメインである地方議会にようやく話を戻します。
まず、地方議会における部分社会の法理の根拠は「地方議会の自律性」です。
令和2年判決(岩沼市議員出席停止事件)は、その事件名のとおり「出席停止」が問題となります。
少し判旨が長いので分割しながら解説していきますね。
まず、地方議会の運営について、地方議会の自律権が尊重される旨述べます。
その上で、議員には、住民自治の原則を具現化するために、住民意思を地方公共団体の意思決定に反映させる活動をする責務があると述べます。
その上で、出席停止は、このような議員の中活的活動(議事に参与して議決に加わる)をできなくするものであり、住民の負託を受けた議員としての責務を十分に果たすことができなくするものであると述べます。
したがって、このような中核的活動を制約する処分については、議会の自律的解決に委ねるべきではないと判断しています。
「出席停止の懲罰は、上記の責務を負う公選の議員に対し、議会がその権能において科する処分であり、これが科されると、当該議員はその期間、会議及び委員会への出席が停止され、議事に参与して議決に加わるなどの議員としての中核的な活動をすることができず、住民の負託を受けた議員としての責務を十分に果たすことができなくなる。このような出席停止の懲罰の性質や議員活動に対する制約の程度に照らすと、これが議員の権利行使の一時的制限にすぎないものとして、その適否が専ら議会の自主的、自律的な解決に委ねられるべきであるということはできない。
そうすると、出席停止の懲罰は、議会の自律的な権能に基づいてされたものとして、議会に一定の裁量が認められるべきであるものの、裁判所は、常にその適否を判断することができるというべきである。
したがって、普通地方公共団体の議会の議員に対する出席停止の懲罰の適否は、司法審査の対象となるというべきである。」
以上をまとめてみます。
議員は、住民自治の原則を具現化するため、議事に参与し議決に加わる等して、住民の意思を反映することを責務とする
(中核的な活動)
▼
出席停止は、中核的な活動をできなくするため、地方議会の自律的解決に委ねるわけにはいかない。
▼
出席停止には司法審査が及ぶ
このロジックを完璧に頭に入れてください。
2 令和2年判決(岩沼市議員出席停止事件)の射程
以上のロジックを前提にすると、令和2年判決(岩沼市議員出席停止事件)の射程は以下のようになります。
司法審査が及ぶ理由付けが「住民自治」であることから地方議会についての判断にとどまり、政党や大学等他の大学については、判例の射程は一切及ばない。
出席停止により「中核的な活動」ができなくなることに鑑みて司法審査を及ぼしていることから、それ以上に「中核的な活動」ができなくなる除名処分には当然に司法審査が及ぶと解することができる。
他方、戒告処分については、戒告を受けたところで「中核的な活動」を行うことができる以上、令和2年判決の射程は及ばず、司法審査の対象とはならないだろう。
※【発展】最後に、令和2年判決が出されたあとの、平成30年予備試験憲法の問題の処理について私見を述べたいと思います。平成30年予備試験の地方議会における謝罪命令処分についてですが、司法審査が及ぶかは問題となり得ます。
この場合、十分な取材をしたにもかかわらず結果的に真実に反した場合についてまで謝罪を強制できるとすると、議員が今後他の議員の不正を追及することを委縮し、議員としての「中核的な活動」をできなくするものであり住民自治の趣旨に反するので、令和2年判決の射程を及ぼすべきと論じることになるでしょう。
このように、最新判例が出されたことで、検討事項が増えるそれ以前の過去問というのはいくつも存在しますので、常に新しい判例の知識を使って答案をアップデートしている予備校を利用するとよいと思います。
第4章 まとめ
以上まとめますと、
まず、部分社会の法理は団体の性質や処分の種類ごとに分けて考えていくことが解法となります。
大学は富山大学事件、政党は共産党袴田事件、地方議会は岩沼市議員出席停止事件です。
それぞれの判例で、①団体の自律的判断を尊重する理由付け、②処分の種類、③司法審査が及ぶか否かが異なります。
記事を見直して必ず確認しておいてくださいね。
そして、地方議会に関する令和2年判決の射程は、地方議会以外の団体内部の処分には及びませんし、戒告処分などの「中核的な活動」に影響を及ぼさない処分についても射程外となります。
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