【薬事法判決】なぜ国民の生命・健康を守る消極目的規制が厳格に審査されるか言えますか?【目的二分論】
目次
この記事を読んで理解できること
- 薬事法判決の距離制限基準が既得権益の保護であること
- 消極目的規制は「嘘つき」であること
- 民主政の過程から考えてみる~コロナ禍の緊急事態宣言を例に
薬事法判決について、目的二分論についての深い理解が予備試験や司法試験ではよく問われます。
旧司法試験の頃でも口述試験で聞かれていた問いがあります。
それは、
「なぜ、国民の生命・健康を守る法律が違憲になりやすくて、特定業界を保護する法律が合憲になりやすいのか。逆ではないか。」
という問いです。
この問いに即答できないのでは、予備試験や司法試験の問題に太刀打ちすることは不可能です。
この観点で過去問は毎回聞かれているので、この問いに答えることができないのであれば、職業の自由の問題はほとんど点数がないと言ってよいでしょう。
また、「消極目的と積極目的が併存する場合は中間的な審査基準を用いる」というようなよく大手予備校で目にする論証は、薬事法判決を前提にすれば全く間違いであり、過去問で大減点をくらうことを解説します。
第1章 薬事法判決の距離制限基準が既得権益の保護であることをまず理解せよ
まず、本論に入る前に、薬事法違憲判決の事案について整理しましょう。
薬事法判決は、広島県に本店を置くスーパーがA市商店街で薬局業を開業の許可申請をとしたところ、申請と処分の間に改正された薬事法に新たに設けられた距離制限規定を理由に不許可処分となった事案です。
ここでポイントなのは、距離制限要件は、既に薬局が密集している地域においては満たすことができないので、実質的に既得権益の保護となっていることです。
これが目的二分論の理解やひいては憲法全体の理解につながります。
第2章 消極目的規制は「嘘つき」であることを理解する
なぜ、生命健康を保護する消極目的規制の方が違憲になりやすいのか。
生命健康を守る立派な法律であれば、合憲とした方がいいように思えます。
この答えは簡単で
消極目的規制は「立派な法律」ではないからです。
下の図を使って説明します。
既存薬局の保護
国民の生命・健康の保護
薬事法違憲判決の裏側を知ってほしいと思います。
実は、渋谷や池袋などのようにドラッグストアが乱立するのはこの薬事法違憲判決のおかげなのです。
要は、マ〇キヨのようなドラッグストアが出てくると既存の小規模な薬局がつぶれてしまいます。
そこで、当時、薬剤師業界のドンであり族議員であった高野一夫が、「議員立法」として出したのが距離制限規定を設けた改正薬事法だったのです
つまり、距離制限を設けたホンネは「既存薬局の既得権益の保護」
であるにもかかわらず、法律に掲げる目的(タテマエ)は「国民の生命・健康の保護」となっているわけです。
消極目的規制のホンネとタテマエの図
既存薬局の保護
国民の生命・健康の保護
つまり、消極目的は「嘘つき」であるために、しっかり審査したほうがいい。
なので、審査基準を上げようとなるわけです(厳格な合理性の基準)。
みなさんの人生でも「みんなのためだよ」「会社のためだよ」「愛は地球を救う」などという崇高な目標を掲げる人に対して「うさんくさい」と思った記憶はないでしょうか。
まさに、それが消極目的規制の審査基準が上がる理由なのです。
他方、小売市場判決のように小売商という特定産業の保護を目的とする積極目的規制は
既存小売商の保護
既存小売商の保護
であり、法律に掲げる目的と実際の目的が一致しています。
第3章 民主政の過程から考えてみる~コロナ禍の緊急事態宣言を例に
表現の自由が経済的自由よりも審査基準が高い理由は、表現の自由が制約されると民主政の過程で自己修復することが不可能というのが理由になっていたと思います。
これを二重の基準といいます。
民主政の過程で自己修復が不可能
民主政の過程で自己修復が可能
実は、消極目的規制についてもこれと同じ状況が起きているということを理解してもらいたいのです。
コロナ禍の緊急事態宣言を例にとるとわかりやすいかと思います。
コロナ禍の際、緊急事態宣言という国民の自由を強く制約する宣言がされました。
このとき「生命・健康」(消極目的)をお題目にし、マスクをしていない人や出歩く人や営業している飲食店が国民に袋叩きにされました。
マスクをしたくない人は一切民主政治では相手にされなかったわけです。
このように、「生命・健康」をお題目にされると国民は容易かつ無批判に政府の政策に賛同してしまうわけです。
大手メディアもさらに野党でさえ「緊急事態宣言を出せ」と言っています。
緊急事態宣言は、国民の自由を制約するものであり、本来はマスメディアや野党が歯止めをかける必要があるにもかかわらずです。
このことは「安全保障上の危機」をうたって戦争支持にまわるという事態でも同様のことが起きます。
つまり、「生命・健康」をお題目にすると、みんな冷静な判断ができず民主政の過程で十分な批判がされない。
つまり、実質的に民主政の過程に瑕疵があったと考えてよいわけです。
他方、GoToトラベルという旅行産業を保護する政策がなされました。
これは制約ではなく補助ではありますが、ニュースでは「自民党の〇〇幹事長は、観光業界から〇〇万円もらっていた」など、観光業界との癒着が疑われたりして叩かれたりするわけです。
しかし、国民の十分な批判にさらされてされたできた政策なのであれば、むしろ民主政として健全な姿です。
なので、裁判所がでしゃばる必要がありません。
そのため、積極目的規制の場合は審査基準が上がらず、明白性の基準を採用し立法裁量を尊重するのです。
生命・健康というみんなに関係する利益を掲げる
▶ 批判が起きにくく十分な議論がされにくい。
▶ 裁判所のチェックが必要=厳格な合理性の基準
特定業界の保護を掲げる。
▶ 民主政の過程でメディアや野党、国民にフルボッコに叩かれる。
▶ 叩かれたうえで、法案が通ったのであれば、議論が十分になされてできた法律であり、健全な民主主義
▶ 裁判所が出る必要がない=明確性の基準
第4章 まとめ
消極目的規制のような「みんなのため」を掲げる法規制は、本当は自分の利益を図るためなのに、法案を通しやすくするために「みんなのため」とうそをついている。
そして、生命・健康の保護のような「みんなのため」規制は、国民全員に利害関係があるため、民主政の過程において十分な批判にさらされません。
このことを危惧して、裁判所は消極目的規制について審査基準を上げているのです。
この考え方は、長谷部先生の考え方であり、今の学説のスタンダードとなっており、かつ、予備試験や司法試験はこの観点から目的二分論を修正させる問題が出題されています。
以下、長谷部恭男先生の見解を載せておきます。
「薬事法の距離制限規定のように、国会が特定の業界の保護立法をあたかも国民一般の福祉に貢献する消極的警察規制であるかのように装って制定した場合には、裁判所は目的と手段との関連性を立ち入って審査し、合理的関連性が無い場合には違憲無効とすべきである。このような審査が行われる結果、立法過程において手段と直接に関連する特定の業界保護という本来の立法目的が明示される効果が期待できる。特殊権益の保護立法に反対する勢力にとって、正確な情報を得るためのコスト(情報費用)は低下し、透明で公正な環境の下で利益集団相互の競争が行われる。
他方、小売商業調整特別措置法のように、国会が正面から特定の業界の保護をうたって参入規制を制定した場合、それが国会が本来果たすべき交渉と妥協による調整の結果であるから、裁判所が立ち入った審査を行う必要はない。」
「それでも基準は二重である!」『比較可能な価値の迷路―リベラル・デモクラシーの憲法理論』(東京大学出版界、2000年)p109
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